歴史的な建造物や情緒あふれる場所が数多くのこる会津若松。四季の彩りを感じる豊かな自然や、風土が育んだ多彩な食文化。今まで知る事の出来なかった「会津若松」に出会える度をお楽しみください。
まちなか観光に便利な周遊バス。1周約60分。各30分間隔で運行しております。
★=フリー乗車券販売所
1384年に葦名直盛が築いた東黒川館をはじまりとしその後多くの戦国大名が治め、幕末の戊辰戦争を耐え抜いた会津の名城です。現在の城郭は鶴ヶ城公園として市民の憩いのスポットとなっております。鶴ヶ城内は郷土博物館となっており、多数の重要文化財や貴重な歴史資料が展示されています。また、最上階の展望台からは会津磐梯山や飯盛山など会津の町を一望することができます。
戊辰戦争で会津藩の少年達で結成された白虎隊士中二番隊が戸ノ口原の戦いより撤退する際、鶴ヶ城周辺の屋敷が燃えているのを落城と錯覚しもはや帰るところもないと自刃をした地です。山中には同士達の墓が並び、記念碑や歌碑など多くの石碑が建てられています。墓所より少し下がった所には国重要文化財の「さざえ堂」、近くには会津藩本陣跡の「滝沢本陣」もあります。
会津藩家老西郷頼母邸を中心に重要文化財の旧中畑陣屋、茶室、 藩米精米所、会津歴史資料館などが軒を連ねる「歴史散策ゾーン」・会津、福島のいいものを集めた 「郷工房 古今」・会津の郷土料理を味わえる「御食事処 九曜亭」がある総合ミュージアムパークです。
市内東山町院内の山中に広がる歴代会津藩主の墓所。藩祖・保科正之の嫡子正頼が亡くなった明暦3年(1657)にはじまり、二代目正経と歴代藩主の子どもや婦人が山腹に葬られ、三代目正容から九代目容保までの藩主は山頂に神式で葬られています。なお、初代正之の墓は猪苗代町の土津神社にあります。
室町時代の領主葦名盛久が霊泉の湧き出たこの地を別荘にしたことに始まり、松平氏2代保科正経が薬草園をここに設けて各種の薬草を栽培させたことから「御薬園」という名が付けられました。中央に心字の池を配した回遊式の借景園で、徳川時代の代表的な大名型山水庭園として国の名勝に指定されました。
江戸時代の会津藩の学校「日新館」は、人材の育成を目的に1803年に建設され、幕末には白虎隊をはじめとする多くの優秀な人材を輩出しました。「ならぬことはならぬ」という会津魂を育んだこの学問の殿堂は、失われてしまった日本の武士道の根源とも言えるものです。乗馬や弓道体験などもあり、楽しく学べる屋外型博物館です。
七日町の名は、毎月七の日に市が立っていたことが由来となっております。藩政時代には会津五街道のうち日光、越後、米沢街道の主要道路が通り、問屋や旅籠、料理屋が軒を連ね、明治時代以降も重要な通りとして繁栄しました。現在は大正浪漫を感じられる通りとして観光客に人気の通りとなっています。
大内宿は江戸時代、日光・今市と会津を結ぶ下野街道沿いの宿場町として繁栄しました。今も当時の面影を残す全国でも数少ない貴重な集落です。
蔵とラーメンと桐製品が有名。特に喜多方ラーメンは札幌、博多と並んで三大ラーメンのひとつに数えられることもあります。
福島県のほぼ中央に位置し、面積は日本第4位の広さです。湖畔では湖水浴やキャンプが楽しめます。
磐梯朝日国立公園に属し、桧原湖や五色沼に代表される湖沼群は200~300ともいわれております。新緑や紅葉の季節はもちろん夏は避暑地、冬はスキー場など四季を通じて楽しめるレジャースポットです。
猪苗代町にある人気のゴルフ場。磐梯朝日国立公園に囲まれ、会津磐梯山、安達太良山、吾妻連邦を一望できる標高850mの高原に展開する戦略性に富むコース。
松本家の創業は文政二年(1819年)創業当時は東山温泉に訪れる湯治客に羊羹を振る舞っていました。以来「東山温泉に来たら松本家の羊羹を買って帰る」が地元の方の定番。一番人気は小豆・寒天・砂糖のみで造る無添加の水ようかん。地元の方だけではなく、全国にもお取り寄せして下さる方も年々増えてきております。
ヒューマンハブ天寧寺倉庫は、これからの時代に求められるローカルハブとして機能し、次世代に繋がるモノづくり/コトづくりを国内外に発信する場です。福島の会津ローカルの暮らしの豊かさに共感する個人、企業が集まり、地域のコミュニティと強い絆を育みながら、日本のこころのバトンを次世代に繋ぎます。
杜氏・蔵人の技が生み出す「きれいなあまさ」。とことん酒質にこだわり、南部杜氏の流れを組み、革新的な酒造りに取り組んでいる。新酒鑑評会で金賞を獲る会津でも指折りの名酒蔵。酒造見学も行っている(要予約)